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長文ツイートみたいなもん

知識、"枷"にならない

前回の記事と3秒で矛盾するタイトル、俺でなきゃ見逃しちゃうね

その分野について知っていれば知っているほど、適当に描かれた創作物が気になってしまい、本編に集中できなくなってしまうよ〜、人殺す時こんな気持ちにならないよ〜って思っちゃう、みたいな弊害の話をしたんですけれども、いやそれだけじゃないから

知識、良いから

むしろ、創作物というものは現実において有り得ないようなことをする為にあるんだから、多少リアルじゃなくても当たり前なんですよ
でね、だからこそ「現実ではどういう扱いになるだろうか」「どうすれば違和感がなくなるのだろうか」とか、そういうのを考えるのも一種の創作物の楽しみ方だと思うんですよね まぁ捉え方によっちゃ邪道かもしんないんですけど

実際自分はSFが好きなんですけど、「今後どういった発展を遂げこの形になるんだろうか」とか、よく話し合ったりします
例えば「ラスボス、丸がち」ってあるじゃないですか。あるでしょ?最後の最後、ほんとのほんとのラスボスが以外にもシンプルな球体、みたいな 思念体だったりそこから色んな形になったり、そこは作品によって変わるんですけど
じゃ実際兵器を作る際、「うん、球体にしよう!」てなるのか?と
あんな戦車とか大砲とか核兵器とか言って、それの究極は球体なのか?と
やっぱね、"シンプル イズ ベスト"ってことなんじゃないかな。遥か彼方遠い未来では球体が一番コスト低い形なのかもしれない。実際あらゆるものが小型化されて、あんなデッケ〜砲台とか要らなくなったら、丸くて浮いてるのがいちばん便利なのかも。あとパッと見で何かわかんないから、敵に警戒されにくいとかあるのかもしんない。わかんない。2022年を生きる自分たちにはわかんないけど。

とかまぁ、こういうことを延々と考えることが出来るんですよ。そう、暇人ならね。
まぁだから、要は捉え方次第なんじゃないかなと思います。もっとポジティブに生きようぜみたいな、なんか多分そんな感じです。