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長文ツイートみたいなもん

そろそろ性自認の話するか

自分は"恐らく"Xジェンダーのアロマンティックです。
この"恐らく"という部分が大事でして。

というのも、4月から成人のガキにはまだ自分のことがよく分かっておらず
もし「私はXジェンダーだ」という人と対面してしまった時、話が噛み合う気がしないのです。
性自認がまだ確定していないんですよ。なんとな〜くこれが近いかな〜?というのを適当に選んでるだけで。
だから「自分のことをXジェンダーだと思い込んでいるだけ」という可能性を否定しきれず、何にも自信を持てずに生きています。多分そんなのはどうでもいいと思うんですけど。
多分、人の数だけ「性自認」というのはあるので。
便宜上、ということにすればいいんだと思います。自分はまだそこまで割り切れてないだけです。

で、ここからはいや〜な思い出の話みたいなもんなんですけど
実生活での一人称は「あたし」で家族に対しては「お姉ちゃん」で喋ってて、
ネット上でラフに喋る時は「おれ」、稀に「ぼく」、他人相手に文字で会話している時は「自分」と、割と一人称がバラバラなんですね

自身の幼少時代は今ほど「LGBT」という言葉も浸透しておらず、ただ「自身が女体であることに少なからず納得していない」という部分があり、スカートも履きたくないし、これは何か他の人と違う部分があるんじゃないか、と
そういうわけで友人たちと会話していたら、「性同一性障害って言うのがあるらしいで、お前もしかしてそれちゃう?」と
目からウロコというか、そんなものがあるのか、というか
そこで初めて知ったんですね、自分以外にもそういう感情を持っている人がいる、ということを
視界が一気に広がった感じがしましたね。
だって周りの人間は、自身が制服でスカートやズボンを履くことに誰も何も疑問を抱いていませんでしたから
クラスで自分だけだよ、女体で制服がズボンなの

ただ、そこからたった数年で情勢は変わりまして
女体でのズボンは学年で2人、学校全体ではもう少し増えていまして
これは性自認がどうこうという話ではなく、「女の子だけどスカートを履きたくない」という自由が認められるようになってきたんですね、嬉しいことです

自分は昔から「女」というものに少し苦手意識が有りまして、原因とか程度とか色々考えてるんですけどまだ正確にはわかってないです。
母親のことは大好きなんですけど、妹のことは嫌いだし
友人は良い人だと思うけど、赤の他人の女性は結構苦手だし
あと化粧とかスカートとか下着とかピンクとか、とにかく世間一般的に「女」とイメージのあるものが全体的に苦手なんですよね。触れたくない、というか、関わりたくない、というか
だから自分は男なんだ、と 昔は思ってました。
わざわざ男子と同じエプロンの柄を選んだり、わざわざメンズで服を買ったりしてました。
ただ、色々調べたり世間が変わっていくうちに、「性同一性障害ではない」ということに気が付きます。
自分の体が嫌だなぁと思うことは沢山あるし、男体になりたいと思うことも沢山ありました。
でも、「自分は男性である」というのも、違うな?と思ったんですよ
自身が女体であることを認めていて、それが間違っていると思ったことはなくて、ただ、それが少し嫌なだけなんですよ
メンズもレディースも選びたくないんです。「ユニセックス」がピッタリだったんです。
男に囲まれるのも女に囲まれるのも嫌でした。色んな人がいる中の1人になりたかった。
だから、「自分はどっちでもないんだな」と思うようになりました。
今は、そう思ってます。

母親に、「私は性同一性障害かもしれない」と告白したことがあります。恐らく中学生の頃。
親は「勘違いでしょ」の一言で終わらせました。正直ショックでした。自分はこんなにいっぱい考えて悩んだ上で出した結論なのに、そんな一蹴して終わりか、と。
一緒に考えてくれた友人の方が、何倍も自分のことを考えてくれてる、と思いました。
実際母親の言っていることは何も間違ってなかった、ということに数年経って気づけましたが、それでももっと言い方ってもんがあると思います。

数年後、「自身に胸があることが嫌だ」と、愚痴を言ったことがあります。まぁ、生きるのめんどくせーみたいな、あんまり大した話じゃないんですけど。
母親には「たいして大きくもないくせに、何を気にすることがあるのか」と言われました。
自分は「あぁ、この人にはわからないんだな」と、そこで大体諦めました。
大きいから邪魔だとか、そういうことが言いたいんじゃなくて
「自身に胸がある」「周りから自身が女性であるとわかる」、それが既にコンプレックスなんですよ、自分は。
今まで自身の性自認が複雑であるという話は何回かしたんですが、もうこの人には伝わらないんだろうなぁと思いました。
でも、それが悪いというわけではないんです。
マジョリティに属する方たちにはわからないかもしれませんが、自身が他人と違う、というだけでめちゃくちゃ頭を悩ませてるんですよ。他の人が「気にしないよ」って言ったって、自分たちはめちゃくちゃ気にしてるんですよ。そういう生き方をしてきたんですよ、今までずっと

マイクロアグレッションという言葉があります。要は、意図せずとも人を少し傷つけてしまう言葉を言ってしまうことです。
マイノリティはそれの連続なんですよ。相手にそんな悪意がないことがわかっていても、自分がどうこう言っても変わらないとわかっていても、こんなことでいちいち傷ついても仕方ないと思っていても、どうしてもいちいちモヤモヤしてしまうんですよ
勿論マジョリティ・マイノリティ関係なく、人間関係を築いていく上でそういったことはたくさんあります。多分自分も何回もやってます。
だから気をつかえとか、そういうことが言いたいんじゃなくて、
なんというか、とにかく生きづらいんですよ 誰のせいとかでもなくて
今はまだそういう時代です。今すぐどうこうできる問題じゃないです。
そういうことがある、と知ることが、まずは大事かなと思います。
何が言いたいのかよくわからなくなってしまった

最近の悩みは「成人式、どうしよう」です。
もう一ヶ月ほど経つんですかね、成人式から
Twitterではたくさんの人の晴れ着が流れてきました。みんなで「かわいい振り袖だね」と褒めあっている様子を遠くから眺めていました。
まだ「可愛らしい綺麗な女性を褒める」という行為に慣れていなくて、ハートのボタンを押すことしかできませんでした。
正直自分はあんな服を着たいと思ってません。女性に女装する、という言い方は適していないんですが、自身の感覚的には「女装している」のとほぼ同じなんです。ああいう服を切るのにめちゃくちゃ抵抗がある。
でも、晴れ着って目で見て男女が分かるような服装になるんですよ。女性は派手で男性はクール。
自分は男の服が着たい訳では無いんですよ。ただ、どっちでもない服が着たいんです。なんであんなにはっきり分かれてしまうんだろう。
まぁでも、恐らく当日はスーツを着ることになると思います。まぁ、自身がだいぶ女性的な体をしているのは自覚があるので、やっぱり体を捨てたいという結論に至るのですが
もう少し、世間の常識が変わればいいのになと思います。偏見というのはしようと思ってしているものではないので。難しい話だと思います。

まぁ外に出なければそんなことは関係ないので。
しばらくは引きこもり生活でしょうね。そんな感じです。