文字

長文ツイートみたいなもん

吃音症の話

半年以上更新が無かったにも関わらず、寝ようとした時にふと長文が書きたくなってしまったので書きます。自由だねぇ

 

この間、友人とUSJに行く機会がありました。

それはそれは楽しかったんですが、初めて乗った激しめのアトラクションでとんでもなく動揺してしまい、本当にスムーズに言葉が出ないという経験をしました。

そこで、「あぁ、これが吃るということか」と改めて実感したんですが。

普段の会話は特筆することもなく、稀に言葉につまることがありまして、母親に「私は吃音症なのだろうか」と聞いてみたところ、「そんなわけないやろ」と言われたので、じゃあそうかと納得したところです。

知り合いにも「吃音症なので、そういうのが苦手な人がいたらごめんなさい」という人がいました。喋ったことはありますが、正直気にしたことはないなぁと思いつつも、きっと大変な思いをしてきたんだろうなと思い、話題に出したことはありません。

 

と、考えているうちにふと思い出すことがありました。

小学生の頃よく一緒に遊んでいた友人が、今思い返すと 多分吃音症だったんです。

と言っても、当時の自分はそんなことも知らなかったわけで

ある日「自身が産まれた時の話を親に聞いてくる」という課題で、その友人が発表をするこてになりました。

「当時普通の赤ちゃんよりもとても小さく生まれてきたそうで、そのせいで今でも喋り方がちょっと変です。でも、ここまで育ててもらえたので、よかったです。」

とのことで、その自分は初めて「あぁ、確かに思い返してみれば、彼の話し方は他人とは少し変わっているのか」と思い至ったのです。

 

確かに「吃音症」という枠組みがあると、人と変わっているなぁと思うこともあるかもしれないのですが、無知な幼児からすれば、それはただの個性に過ぎなかったんだなぁと思って、複雑な気持ちになりました。

日常生活に弊害があるから「病」として知られているんだろうけど、病だからと妙な目で見ず、個性として見てみても良いのかなぁ、と思いました。もちろん、本人の気持ち次第だとは思いますが。

そんな感じです。

同じ世界を見ていないかもしれない

最近「ミステリと言う勿れ」の10巻を読みました。自分は「親子の絆」と「ロボットの感情」でだいたい泣いてしまうのですが、良い話でした。
で、10巻を読むにあたり、これまでの話をほとんど忘れてしまっていたので、夜を明かしながら1巻から読み返していました。

そこで自分が割と印象に残ってる言葉があります。1巻の、割と冒頭の方で出てたんじゃないかな
「真実は人の数だけある」という話です。
事実というものはひとつしかありませんが、当事者にしかわからないことはあります。その人にとってはそれが真実なんです、みたいな話だったと思います。

で、自分はそれを思い知ることが何度がありまして
例えば、友人間での会話が成り立っていない時。
自分は頭の中で話が進むことがしょっちゅうあり、主語を忘れて話し始めてしまうことがあります。それもあってか、友人が何を言おうとしているか、どちらのこともよくわかるので、所謂「翻訳」のような形で文章の補填をすることがあります。
そして、文章の意図が読めていない人。バズったツイートを見て「面白いなぁ」と思いながらリプライを見ていると、わざわざ何が面白いのかを解説している人を見かけます。自分は「わざわざそんなこと言わんでもわかるわ」と思ったのですが、そのリプライに「貴方の解説のおかげでわかりました!」というリプライがついており

え?!と
あ、分からない人がいるのか、と。
はた、と気づきました。
これは勿論、わからない人を馬鹿にしているとか、教養がない!と非難しているとか、これがわかる俺は頭が良いだろう?とか、そういう意図はなく。
ただ、純粋に、「解説が無いと文の意味が分からない人がいる」ということを知らなかったんですよ。
「わかる人」は「わからない人」の気持ちがわからないので、「本当に分からないのか?」と思ってしまうんですよね。これが、成績優秀者が「こんなことも分からないの?」と言ってしまう理由のひとつであると思います。

確かに、どれだけ悪意がなくともその言葉で人を傷つけてしまったという事実は残りますし、傷つけてしまったなのなら、そのことは謝罪すべきだとは思います。
ですが、お互いのことをもう少し知ることも大事なのではないかなぁ、と、そう思います。何故そんなことを言ってしまったのか、何故傷ついたのか。
分かり合えないこともあるかもしれませんが、少しずつ歩み寄って行けたらいいね、と、綺麗事を言ってしまった。
そんな感じです。

そろそろ性自認の話するか

自分は"恐らく"Xジェンダーのアロマンティックです。
この"恐らく"という部分が大事でして。

というのも、4月から成人のガキにはまだ自分のことがよく分かっておらず
もし「私はXジェンダーだ」という人と対面してしまった時、話が噛み合う気がしないのです。
性自認がまだ確定していないんですよ。なんとな〜くこれが近いかな〜?というのを適当に選んでるだけで。
だから「自分のことをXジェンダーだと思い込んでいるだけ」という可能性を否定しきれず、何にも自信を持てずに生きています。多分そんなのはどうでもいいと思うんですけど。
多分、人の数だけ「性自認」というのはあるので。
便宜上、ということにすればいいんだと思います。自分はまだそこまで割り切れてないだけです。

で、ここからはいや〜な思い出の話みたいなもんなんですけど
実生活での一人称は「あたし」で家族に対しては「お姉ちゃん」で喋ってて、
ネット上でラフに喋る時は「おれ」、稀に「ぼく」、他人相手に文字で会話している時は「自分」と、割と一人称がバラバラなんですね

自身の幼少時代は今ほど「LGBT」という言葉も浸透しておらず、ただ「自身が女体であることに少なからず納得していない」という部分があり、スカートも履きたくないし、これは何か他の人と違う部分があるんじゃないか、と
そういうわけで友人たちと会話していたら、「性同一性障害って言うのがあるらしいで、お前もしかしてそれちゃう?」と
目からウロコというか、そんなものがあるのか、というか
そこで初めて知ったんですね、自分以外にもそういう感情を持っている人がいる、ということを
視界が一気に広がった感じがしましたね。
だって周りの人間は、自身が制服でスカートやズボンを履くことに誰も何も疑問を抱いていませんでしたから
クラスで自分だけだよ、女体で制服がズボンなの

ただ、そこからたった数年で情勢は変わりまして
女体でのズボンは学年で2人、学校全体ではもう少し増えていまして
これは性自認がどうこうという話ではなく、「女の子だけどスカートを履きたくない」という自由が認められるようになってきたんですね、嬉しいことです

自分は昔から「女」というものに少し苦手意識が有りまして、原因とか程度とか色々考えてるんですけどまだ正確にはわかってないです。
母親のことは大好きなんですけど、妹のことは嫌いだし
友人は良い人だと思うけど、赤の他人の女性は結構苦手だし
あと化粧とかスカートとか下着とかピンクとか、とにかく世間一般的に「女」とイメージのあるものが全体的に苦手なんですよね。触れたくない、というか、関わりたくない、というか
だから自分は男なんだ、と 昔は思ってました。
わざわざ男子と同じエプロンの柄を選んだり、わざわざメンズで服を買ったりしてました。
ただ、色々調べたり世間が変わっていくうちに、「性同一性障害ではない」ということに気が付きます。
自分の体が嫌だなぁと思うことは沢山あるし、男体になりたいと思うことも沢山ありました。
でも、「自分は男性である」というのも、違うな?と思ったんですよ
自身が女体であることを認めていて、それが間違っていると思ったことはなくて、ただ、それが少し嫌なだけなんですよ
メンズもレディースも選びたくないんです。「ユニセックス」がピッタリだったんです。
男に囲まれるのも女に囲まれるのも嫌でした。色んな人がいる中の1人になりたかった。
だから、「自分はどっちでもないんだな」と思うようになりました。
今は、そう思ってます。

母親に、「私は性同一性障害かもしれない」と告白したことがあります。恐らく中学生の頃。
親は「勘違いでしょ」の一言で終わらせました。正直ショックでした。自分はこんなにいっぱい考えて悩んだ上で出した結論なのに、そんな一蹴して終わりか、と。
一緒に考えてくれた友人の方が、何倍も自分のことを考えてくれてる、と思いました。
実際母親の言っていることは何も間違ってなかった、ということに数年経って気づけましたが、それでももっと言い方ってもんがあると思います。

数年後、「自身に胸があることが嫌だ」と、愚痴を言ったことがあります。まぁ、生きるのめんどくせーみたいな、あんまり大した話じゃないんですけど。
母親には「たいして大きくもないくせに、何を気にすることがあるのか」と言われました。
自分は「あぁ、この人にはわからないんだな」と、そこで大体諦めました。
大きいから邪魔だとか、そういうことが言いたいんじゃなくて
「自身に胸がある」「周りから自身が女性であるとわかる」、それが既にコンプレックスなんですよ、自分は。
今まで自身の性自認が複雑であるという話は何回かしたんですが、もうこの人には伝わらないんだろうなぁと思いました。
でも、それが悪いというわけではないんです。
マジョリティに属する方たちにはわからないかもしれませんが、自身が他人と違う、というだけでめちゃくちゃ頭を悩ませてるんですよ。他の人が「気にしないよ」って言ったって、自分たちはめちゃくちゃ気にしてるんですよ。そういう生き方をしてきたんですよ、今までずっと

マイクロアグレッションという言葉があります。要は、意図せずとも人を少し傷つけてしまう言葉を言ってしまうことです。
マイノリティはそれの連続なんですよ。相手にそんな悪意がないことがわかっていても、自分がどうこう言っても変わらないとわかっていても、こんなことでいちいち傷ついても仕方ないと思っていても、どうしてもいちいちモヤモヤしてしまうんですよ
勿論マジョリティ・マイノリティ関係なく、人間関係を築いていく上でそういったことはたくさんあります。多分自分も何回もやってます。
だから気をつかえとか、そういうことが言いたいんじゃなくて、
なんというか、とにかく生きづらいんですよ 誰のせいとかでもなくて
今はまだそういう時代です。今すぐどうこうできる問題じゃないです。
そういうことがある、と知ることが、まずは大事かなと思います。
何が言いたいのかよくわからなくなってしまった

最近の悩みは「成人式、どうしよう」です。
もう一ヶ月ほど経つんですかね、成人式から
Twitterではたくさんの人の晴れ着が流れてきました。みんなで「かわいい振り袖だね」と褒めあっている様子を遠くから眺めていました。
まだ「可愛らしい綺麗な女性を褒める」という行為に慣れていなくて、ハートのボタンを押すことしかできませんでした。
正直自分はあんな服を着たいと思ってません。女性に女装する、という言い方は適していないんですが、自身の感覚的には「女装している」のとほぼ同じなんです。ああいう服を切るのにめちゃくちゃ抵抗がある。
でも、晴れ着って目で見て男女が分かるような服装になるんですよ。女性は派手で男性はクール。
自分は男の服が着たい訳では無いんですよ。ただ、どっちでもない服が着たいんです。なんであんなにはっきり分かれてしまうんだろう。
まぁでも、恐らく当日はスーツを着ることになると思います。まぁ、自身がだいぶ女性的な体をしているのは自覚があるので、やっぱり体を捨てたいという結論に至るのですが
もう少し、世間の常識が変わればいいのになと思います。偏見というのはしようと思ってしているものではないので。難しい話だと思います。

まぁ外に出なければそんなことは関係ないので。
しばらくは引きこもり生活でしょうね。そんな感じです。

面白い とは

ありがたいことに、「ブログ読むの面白い」と言っていただけているので、今調子に乗っているんですけど
じゃあ実際何が面白いんだ?と思いまして、いや卑下してるんじゃなくて純粋に
面白い文章って何なんだろうな〜と

いやあの、勿論「面白い」ってのは人によって感覚が異なるわけですから
その友人はたまたま自分のブログを面白い!と感じることができましたが、多分残りの78億7500万人にとっては面白くないと思います。
これは単純に「ブログそのものを読まない人」、「長い文字を読みたくない人」、「素直に面白くないと感じる人」とか色々いるので、このブログを面白いと感じることが出来る人は、要は希少種です。

誰が見ても悪いものってのはそこそこありますけど、誰が見ても面白いものってそうそうないんですよ。
他人が面白がるだけで「ケッ、自分はあんな単純じゃない!こんなの面白いと思わないぞ」という心構えになってしまう人も、まぁいるんで
でもそれはそれとして、大多数の人が「面白い!」と思うコンテンツはたくさんあるんですよ。いや人気なもの程アンチもつくんですけど
で、そういったコンテンツの特徴はなんなんだろうなぁと、そういう話です。前置き長

ブログの話で言うと、自分「オモコロ」の記事をよく読んでます。1番有名なのはやはり「ARuFa」ですかね、割と奇想天外というか、周りに「おもしろコンテンツの詰まった麻袋」と言わしめるほど、面白さでしか勝負できないヤバい人間というか、まぁそんな印象ですね
彼の凄いところはやはり「企画力」にあると思います。誰もが「こんなことできるのかなぁ」と考えてみたり、むしろ誰も考えつかないようなことを、たくさんの人の協力を得て実現する、夢みたいな話だな…
そんな感じですから、まず目を引きますよね。タイトルとかサムネを見てまず「何?!」と思わせることが出来るので、それで読む人が多いんじゃないかなぁと、そんな感じに思います。
あと画像やgifが結構使われてるんですよね、おかげで流し読みしてても大体の流れが分かります。要は文字を読むのが苦手な人でも読める記事なってるんですよ。そこが良いとこかもなー、単純に客層が増えるから

で、まぁオモコロは大体誰が書いてる記事でも面白いので好きです。というか自分は基本的になんでも面白いと言ってしまう人種なんですけど
特に「みくのしん」の記事は本当にすごくて、いやすごいというかヤバいというか、あの人の記事1回だけ見てみて欲しいんですけど
基本的には料理記事なんですけどね、あの、記事と呼べるようなものじゃないんですよ
型破りなんてもんじゃなく、なんというか、何?読んだことを後悔しながら毎回読んでる
とにかく「何らかの違法薬物を摂取しながら記事を書いているのか?」と思うほどにはよくわからない文字の羅列を毎回書いてるんですよ。あの人は。
でも自分は毎回「最悪だー!ワハハ」と笑い泣きして読んでるんですよ。自分がマゾヒストだからとかではないです。
なんというか、頭を使わなくていいんですよ もはや文章じゃないので
「記事」という型を木っ端微塵にしていく様が面白いんだと思います。あと料理自体はちゃんとしてて普通に良い。自炊する人はそこだけ参考にしてもいいと思います。料理する人としてのみくのしんはちゃんとしてるので。ただブロガーとしてのあり方がだいぶ特殊なだけなので。

あと個人的に好きなのは「かとみ」とかですね、なんか内容が毎回優しくて可愛いので好きです
前述した人達みたいなインパクトは無いんですけど、そこが良いというか、胃に優しいというか
豆腐ですね、かとみ記事は いつでも食べれて美味しいです。
あの人たちは基本的に「滑稽」全振りなんですけど、こっちはどちらかというと「微笑ましい」って感じですね
アハハ!というよりフフ……☺と、つまりお嬢様でも読める上品な記事です。豆腐というよりはクッキーかもしれない

えっとね、あのー、つまりね、何が面白いかなんか一概にどうこう言えないと、そういうことしか分かりませんでした。
まぁ色んなものを「面白い!」と思える感性があると人生楽しいですよね、おかげで趣味と趣味に腕を引きちぎられそうになってるんですけど アルセウス楽しい 卓が修羅だ
そんな感じです。

海馬とタツノオトシゴの話

読まれてるんなら更新しないといけないよなぁ?!?!

実は以前、特になんの前触れもなく「海馬」について調べたことがありまして
知ってます?海馬 あのーなんか、脳の、記憶の、なんか、つかさどってそうなやつです
すぐものを忘れてしまう人なんかは「海馬がやられてる」ってよくからかわれてますね

で、なんで調べたかっていうと、あのー、タツノオトシゴって知ってます?タツノオトシゴ あのーほら、海にいる、なんか藻みたいな 妙な生き物です。
ポケモンでいうタッツーです。進化するとシードラになります。世代が変わるとキングドラにまで進化します。

まぁ「タッツー」という名前、どう見ても「タツノオトシゴ」から取ってるじゃないですか
タツノオトシゴ」も、要は「龍の赤ちゃん」みたいな感じですよね。
で、「シードラ」なんですけど 「シードラゴン(海の竜)」と考えられますよね。最終的に王にまで成り上がるんですけど。

ところでタツノオトシゴって英語でなんていうか知ってます?
「シーホース」です。馬かい!と。日本では竜とまで言わしめたタツノオトシゴ英語圏では「馬」って言われてるんですよ。

で、あら?と。

「シーホース」、「海馬」じゃね?

と思いまして、これは何らかの関係があるのだろうかと思い立って調べたんですよ。海馬がタツノオトシゴに似てるのか、それともタツノオトシゴが海馬に似てるのかどっちなんだ?!と気になりまして。

結論としては、タツノオトシゴも海馬も、語源が同じだったんですよ。親子かと思いきや兄弟だった
どうやらギリシャ神話には「ヒッポカンポス」という、半馬半魚の想像上の動物さんがいらっしゃるらしいんですけど、「海馬、これのしっぽに似てんなぁ」ということでそういう名前になったらしいです。
タツノオトシゴについては、学名が既に「ヒッポカンポス」らしく、そいつも「シーホース」とされたらしいです。諸説あると思うけど
ヒッポカンポスて意外と有名なんですね。海馬伝いで初めて知ったんですけど
そんな色んな元ネタになってたんだ 良かったね、と。
そんな感じです。

ブログの意義

中盤に挟まれる自分語りね、あるあるです

いや実際何でブログなんかやってるかって、長文ツイートの行き場に困ったからですよ
元々自分は文章を書くのが大好きでして、毎度毎度深夜に色んなこと考えてはそれをツイートしたりなんなりしてたんですけど
「今夜も喋り倒してしまった……」と毎夜後悔してるし、「そういやこの話前もしたな」みたいなことが結構ありまして
で、自分は自分の文章が好きなので、もっと気軽に読み返せるようにしたいな〜と思い立ってこうなりました。ふせったーとか、自分で書いた感想も結構読み返してます。

で、だからまぁ正直人に読まれるということを微塵も考えていなかったわけなんですが、(ネットにあげているのに……?)
「読んでるよ」という声を頂いてですね、
「え〜?!」と、まぁ驚きのあまり椅子から転げ落ちてそのまま腰を強打して今入院しています。
ありがたい話なんですけど、いや、え?!マジで?!なんで?!?!という感情ばかりが湧いてくる、素直に喜べんのかお前は

自分は基本的に「考えたこと」「思ったこと」「自分のこと」を書いてるんですけど、「自分のこと」なんか特に自分しか興味無いだろと思ってる訳ですから
いやあの……もうちょっと色んな文章を書けるように、がんばるか、と思いました。
他人は意外と自分の文字にも興味があるらしく、自己肯定感がちょっと低すぎたかもしれないな、うーん
そんな感じです。

会話、文通になれ

要は「会話が苦手すぎるが、文章を書くのは好きなので、全ての会話が文通で行われれば生きやすくなるのではないか?」ってことです

LINEね。

会話苦手話これで2回目なんすけど、いやどんだけ苦手やねん
あのね、会話が苦手ってよりはお喋りが下手なんですよ。なんかもう、脳内で話がどんどん進んでくから口がそれに間に合ってない。主語が抜ける。どうでもいい話を先にしてしまう。誰もお前を愛さない

まぁ親にまで指摘されてまして、そこそこ落ち込んでるんですけど、じゃあなんで文字なら平気なのかって考えた時、やっぱ推敲出来るからだよなーと思いまして
難易度の高さ順に並べると
会話>LINE>Twitterのリプ>Twitterの空リプ>メール
みたいな感じで 要は瞬発力がダメなんですよ
会話とかLINEとか、途切れると"無"を取得してしまうので 急いで返さなきゃ!!!!!!!てなるんですよ キャッチボールだから 貰ったボールをいつまでもにぎにぎしながら眺めてたらダメなんですよ はよ返せやって怒られる
で、Twitterの空リプとかはまだ あんまり"無"が無い
キャッチボールってよりは たまに誰かが拾う 海に流した瓶詰めの手紙 海ってよりは下水ですけど
メールも返信なんか相手の都合の良い時間待つしかないわけですから 同日に返せりゃセーフですよ
だからメールとか、LINEの送り始めとかは「この文でおかしくないかな、ちゃんと伝わるかな」って5億回読み返して推敲するから大丈夫なんですけど、会話するとなると「うわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!喋れ喋れ喋れとにかく喋れ黙ったら死ぬ」ってなっちゃう 関西人だからか?恐らく関係ない

だからまぁ、ほんとはもっとゆっくり喋りたいんですけど、どうしてもまくし立てちゃうんですよね、置いてかれちゃうから
もっと頭の回転が早くなったらいいのかなー うーん、そんな感じです。