吃音症の話
半年以上更新が無かったにも関わらず、寝ようとした時にふと長文が書きたくなってしまったので書きます。自由だねぇ
この間、友人とUSJに行く機会がありました。
それはそれは楽しかったんですが、初めて乗った激しめのアトラクションでとんでもなく動揺してしまい、本当にスムーズに言葉が出ないという経験をしました。
そこで、「あぁ、これが吃るということか」と改めて実感したんですが。
普段の会話は特筆することもなく、稀に言葉につまることがありまして、母親に「私は吃音症なのだろうか」と聞いてみたところ、「そんなわけないやろ」と言われたので、じゃあそうかと納得したところです。
知り合いにも「吃音症なので、そういうのが苦手な人がいたらごめんなさい」という人がいました。喋ったことはありますが、正直気にしたことはないなぁと思いつつも、きっと大変な思いをしてきたんだろうなと思い、話題に出したことはありません。
と、考えているうちにふと思い出すことがありました。
小学生の頃よく一緒に遊んでいた友人が、今思い返すと 多分吃音症だったんです。
と言っても、当時の自分はそんなことも知らなかったわけで
ある日「自身が産まれた時の話を親に聞いてくる」という課題で、その友人が発表をするこてになりました。
「当時普通の赤ちゃんよりもとても小さく生まれてきたそうで、そのせいで今でも喋り方がちょっと変です。でも、ここまで育ててもらえたので、よかったです。」
とのことで、その自分は初めて「あぁ、確かに思い返してみれば、彼の話し方は他人とは少し変わっているのか」と思い至ったのです。
確かに「吃音症」という枠組みがあると、人と変わっているなぁと思うこともあるかもしれないのですが、無知な幼児からすれば、それはただの個性に過ぎなかったんだなぁと思って、複雑な気持ちになりました。
日常生活に弊害があるから「病」として知られているんだろうけど、病だからと妙な目で見ず、個性として見てみても良いのかなぁ、と思いました。もちろん、本人の気持ち次第だとは思いますが。
そんな感じです。